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歴史文化

歴史文化

刻まれた悠久の歴史 歳月が育む文化の風貌

唐の第二代皇帝太宗は「古を鏡とし盛衰を知る」といいましたが、台中地区の歷史は古く、文化であろうと歷史であろうと台湾の発展史に重要な地位を占めてきました。古来より、台中は台湾中部における文化と経済の発展の重心でした。

今に残る旧跡と建物はかつての人々の生活の様子を伝えてくれます。歲月を経て蓄積されたこれら文化遺産と建築はあらゆる人を魅了する深い文化的意義を内包しています。台中というこの土地は、現代的国際都市としての顔の他、古が香る文化資産をも有しているのです。

大里杙文化館

歴史を伝える生き証人

大里杙文化館

大里杙文化館は、日本統治時代は大里杙保正集会所でした。

この歴史的建築は、第二次世界大戦後は戶政事務所、村活動センターとして活用されてきましたが、1999年に「大里杙老街風貌再造計画」がスタートし、「大里杙文化館」として生まれ変わりました。

館内は「大里杙老街今昔」など史料が常設展示されている他、企画展、特別イベントなどが不定期に開催されています。


宮原眼科

診察しない観光医院

宮原眼科

宮原眼科は、眼科医の宮原武熊博士が1927年に開設し、日本統治時代の台中では最大規模の眼科医院でした。

台鉄台中駅に近い緑川沿いにある宮原眼科は、赤レンガの壁、木の天井を持つアーケードがレトロな風情いっぱいです。店内は高い天井を持つ古い図書館のような内装で、新旧が入り乱れる不思議な空間となっています。店の中央には今は使われていない古井戸があり、現代風の円いガラスの募金箱に生まれ変わっています。

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台中公園

都市の中心にある憩いの地

台中公園

台中公園は1903年10月28日の設置以来、台中市のランドマークとして不動の地位を保っています。

公園内には人工湖、あずまや、アーチ状の橋など優美な造形が連なり、屋外音楽台、児童遊戲区、テニスコートなどのレジャー施設もあります。

台中市の中心部に位置し、交通が便利なため、休日には家族揃って訪れる市民でにぎわいます。

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台中州庁

政治の色合いは薄れ

台中州庁

日本統治時代、台湾総督府は中部地区に台中市、彰化県、南投県を範囲とする台中州を設置していました。州庁舎が置かれた台中市には、役所が林立し人が集まり、中部地区の政治、経済、文化の中心となりました。

台中州庁は歴史を感じさせる華麗な建物で、メイン玄関は角にあり、左右両側は翼のように後方へと延びています。2002年7月台中市歷史建築として登録され、2006年11月市定旧跡に指定されました。戦後の一時期は台中市政府が市庁舎として使用しましたが、現在は台中市政府都市発展局と環境保護局が入居しています。


磺溪書院

文人が集う地を訪ねる

磺溪書院

前身は清代嘉慶年間の紳士趙順芳、楊占鱉が設立した西雝社です。文昌帝君を祀っているため文昌祠とも呼ばれ、内部には拝殿、大殿等が設けられています。清代光緒14年(1888年)に建てられた「磺溪書院」は現在の大肚、龍井、烏日三地区の子弟を集め啓蒙教育を施していました。

両進、双護龍、七開間、帯四垂拝亭に分かれた四合院で、清代光緒年間の典型的な書院建築です。彫刻タイル、瀝青岩、花崗岩、福杉等を建築材料とし、優美で華やかな佇まいは、彰化道東書院と並び称されます。

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霧峰林家花園

歴史を伝える中国式と西洋式の融合

霧峰林家花園

霧峰林宅は阿罩霧にある庭園と邸宅建築群の総称です。頂厝、下厝、萊園の三部分で構成され、現在は下厝が改修中です。

明台家商専門学校内にある「萊園」は林家の挙人林文欽がその母のために建てたもので、後に霧峰林家花園としてその名が台湾全土に伝わりました。林家花園は清代中期から現在まで、年代を経ることで建築様式も大きく変化してきました。後期には中国、西洋、日本の三つのスタイルが融合した建築と庭園も現れています。

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月眉観光糖廠(製糖工場)

懐かしい幼い頃の記憶

月眉観光糖廠(製糖工場)

月眉糖廠は日本統治時代の明治42年(1909年)に創業されました。古い機関車を通り中に入ると、懐かしい風景が迎えてくれます。名物の台糖製アイスキャンディーで、幼い頃の甘い記憶に浸りましょう。職工福利社正面の観光区には、噴水、白い小さな橋、旧山線の風景を描いた壁画があり、タイムトンネルを一気に潜り抜けたような心地がするでしょう。

月眉観光糖廠では解説スタッフが百年の歴史を誇る製糖工場を案内してくれる他、農村の古文物、製糖器具、清朝皇帝の命令書などの物品も展示されています。


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